Mar 21, 2011
私の祖父の盆栽
私は祖父と一緒に住んでいるんです。祖父は、特に趣味もない人で、主に自宅の火事を除いては、自分の部屋に閉じこもっていることが多いのですが、祖父の少数の趣味の盆栽があるんです。私の家は田舎にあるので、庭がかなり広いのですが、庭園を眺めると祖父の盆栽がたくさんあるんですよ。盆栽というと古い、祖父が飼っているイメージがあるが、最近の盆栽は、少し傾向が異なります。インテリアの一部のような観葉植物を観賞などの場所に、様々な盆栽が販売されています。小さな豆盆栽とコケに巻いた苔玉されることがあり、盆栽といっても、洗練されたインテリアの一部、狭い家の生活も心を癒す存在として、様々なタイプが販売されています。
経済産業省原子力安全・保安院が24日公表した福島原発事故で使われた東京電力の運転操作手順書は、当初は大半が黒塗りされていた。東電は、黒塗りの理由としてテロ対策の核防護や知的所有権などを挙げていたが、保安院は「公表する公益上のメリットの方が大きい」と判断した。
公表されたのは1号機の手順書全体約1700ページの約1割にあたる。今後、2、3号機の事故に関係する部分や1号機の残り部分の公表を検討する。
黒塗りの大半は、技術的な操作方法や装置の名称などで、保安院は、核防護上制限する内容はなかったと判断した。ただし、個人情報保護の観点から個人名は黒塗りを認めた。
東電の松本純一原子力・立地本部長代理は24日の会見で、「もし手順書がテロリストの手に渡れば、(東電が)どう対応するかが把握される恐れもある。手順書はプラントメーカーなどとの共同開発の成果でもあり、今後、訴訟リスクが起きる可能性もある」と述べた。【関東晋慈、中西拓司】
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◆東京電力がまとめた手順書不適合事項◆
(△一部実施できず ×適用できず、黒塗り部分も含む)
3月11日
(1)午後3時37分
事象:全交流電源喪失 →手順書:非常用復水器起動 ×
実際の操作=弁開閉表示が確認できず起動不能と判断
(2)午後5時半
事象:原子炉注水 →手順書:中央制御室の操作で開く △
実際の操作=電源喪失のため手動で注水弁開ける
(3)午後6時18分〜午後9時半
事象:非常用復水器操作→手順書:弁の開閉を操作 ×
実際の操作=電源が失われ状態不明
3月12日
(4)午前9時15分ごろ
事象:ベント準備 →手順書:電動弁を25%開く △
実際の操作=電源がなく手動で開く
(5)午前10時17分
事象:ベント準備 →手順書:空気弁を開く △
実際の操作=駆動用空気圧に問題があり、開いた状態維持が困難。中央制御室で手順書にない小弁を開く操作するも確認できず
(6)午後2時ごろ
事象:ベント操作 →手順書:ベント開始 △
実際の操作=仮設空気圧縮機設置して弁を開ける
11月27日投開票の大阪府知事選で、民主党府連と自民党府議団は24日、同府池田市長の倉田薫氏(63)が府内の首長の後押しを受けて出馬した場合、連携して支援する方針を固めた。
橋下徹知事が代表の大阪維新の会が擁立する松井一郎府議(47)に対抗できる候補と判断した模様だ。今後、公明党との調整も急ぐとみられ、3党が倉田氏支援で一致する可能性も出ている。
倉田氏は、池田市を除く府内の42市町村長のうち、30人の賛同署名を得ることを目安に出馬を決断する構えで、首長有志が24日、擁立に向けた署名集めに着手した。一方、倉田氏側も水面下で民主、自民関係者と折衝を重ね、支援の枠組みについて協議。両党は首長らに担がれた倉田氏を支援することで、政党色を前面に出さずに支える方針とみられる。
民主党府連は、倉田氏が出馬を決断すれば、選対委員会を開いて支援方針を固め、30日の常任幹事会で正式決定する見通しだ。
皆さま、こんにちは。ジェイエアの三原朋子と申します。私は現在、ジェイエアが運航しているボンバルディアCRJ200の機長をしております。CRJ200は主に地方と地方を結ぶ路線を飛んでいる飛行機です。そのCRJ200の副操縦士としてパイロットの経験を積み、9月1日に機長の辞令交付を受けました。今日は機長になるまでの道のり等についてお話をさせてください。
【写真で見る】機体チェックなどを行う三原機長
私がパイロットを目指した理由は、中学生の頃から「空を飛ぶということ」にあこがれていて、その手段として飛行機を操縦したいと考えたことに始まります。
初めの頃は、小さな飛行機で街から街に郵便や貨物を運ぶようなのんびりしたフライトをしてみたかったのですが、実際には自分が描くイメージのような仕事は、残念ながら日本には存在していませんでした。
高校卒業後、飛行機のライセンスを取得するために、大阪航空専門学校に入学しました。当初は専門学校を卒業したら、使用事業会社に就職しようと考えていましたが、当時の就職難もあり、使用事業会社への就職はかないませんでした。
その頃、航空大学校や、自社養成以外でも、エアラインへ就職できる機会が多くなり、自分自身もそのチャンスを生かして、エアラインのパイロットを目指してみようと考え始めました。
思い出に残っていることは数えきれないくらいありますが、専門学校時代は、日本のライセンスに書き換えのできる、自家用操縦士のライセンスを取得するためにアメリカで訓練をしていました。カリフォルニアにあるたくさんの小さな空港を巡って、飛び回っていました。それは、自分があこがれていた世界で、本当に楽しい毎日でした。あの頃は、純粋に空を飛ぶことを楽しんでいたのだと思います。
ジェイエアに入ってからのフライトは、多くの感動や感激がありますが、振り返って思い出すのは、機材の故障や、天候不良等でお客さまを目的地にお運びすることができなかったフライトばかりです。それは、一つ一つ苦渋の決断や、判断を行ったことや、目的地にお連れできなかったお客さまへの申し訳なさが、いつまでも心に残っているからなのだと思います。
ここに至るまで、長い訓練の中で、悩みながらも、たくさんの仲間に支えられて、機長になることができました。今はご支援いただいた、多くの皆さまへの感謝の気持ちでいっぱいです。今後は機長として一便一便を責任を持って運航していくことが、恩返しだと思っています。また、自分がしていただいたように、これから機長を目指す後輩たちを支援していきたいと思います。
さらに、機長として乗務した便にて、たくさんのお客さまに、温かいお祝いやご支援の言葉をいただき、感激すると共に、皆さまのご期待を裏切ることの無いように、日々精進しなければならないと、強く感じています。夢と言えるかはわかりませんが、機長になった今の気持ちを忘れることなく、一便一便を大切にし、安全に、無事故で飛び続けることです。そして、たくさんの後輩の副操縦士が一人でも多く、一日も早く機長になるために支援していきます。
また、自分自身も旅行が好きでよく飛行機を利用するのですが、同じように旅行等でご搭乗されるお客さま一人一人が、旅の楽しみの一つとして飛行機をご利用していただけるように、快適な時間を提供させていただきたいと思っております。
私が機長として乗務するCRJ200は、客席が50席と少なく、短距離の路線を飛行することが多い機材です。1便あたり1時間前後のフライトで、通常よりも低い高度で飛ぶことも多く、いつもより山や湖、街の風景を近くに感じていただけると思います。
安全、快適はもちろんのこと、飛行機の窓からの景色も旅の思い出の一つとなるようなすてきな時間をお過ごしいただけるよう、乗務員一同、心がけてまいります。どうぞ、お気軽にご利用ください。
皆さまのご搭乗をお待ちしております。
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